2009年12月23日水曜日

新川達郎のイタリア通信クリスマス特別号


 イタリアと日本の問題を中心にブログをというつもりで書いてきたのですが、今回は、年末ということもあって、クリスマス特別号として、コペンハーゲンのCOP15について、当地での反応も含めてお伝えしたいと思います。日本でも大きく報道されていると思いますが、「合意」は一応できましたし、国連事務総長のようにそれを評価する声もありますが、もう一方では、先送りと失敗であったという論調も根強いところです。今回の合意については、全会一致の採択には至らなかったこと、法的な拘束力をもたないものであり、参加193ヵ国間では条件付き採択にとどまり、国連決議としても不確かなものともいわれています。
 イタリアのマスコミによる評価も、まだら模様でした。顔を立てるだけの協定締結と、議長国やEUはどこに行ったのか、中国ばかりが目立ったという報道でした。
 当地で見ていても、改めて、日本はどこにいるのかが、気になっていました。もちろん200ヵ国近くが参加していますので、よほどのことがないと注目されないのは当然です。そして、議長国も、EUもロシアも、もちろん日本も、また、多数を占める発展途上国も主役ではなったようです。会議の主要プレイヤーが大きく変わりました。アメリカと中国、そしてインド、ブラジル、南アフリカが目立つことになりました。会議のまとめ役は、やはり相変わらずアメリカですが、自らの方針を強く主張し続けたのは中国でした。工業化を進めなければならない、したがって温暖化ガス排出は増えざるを得ないという中国の主張は、一貫していました。イタリアでの報道も、会議の混迷とアメリカ、中国を中心とした報道が多くを占めました。
 2大排出国だから当然といえば当然ですし、最も法的拘束を嫌う立場であることは、この両国については、間違いないところでしょう。中国はこの会議を中国にとって成功だと評価しています。
 さて、25%削減と途上国支援をうたった日本の主張はどこにいったのでしょうか。もちろん、取りまとめに向けては、政治合意に向けて、賛成に回ったことは確かなのですが、日本の姿はよく見えませんでした。逆に、今回、法的な拘束力のない合意に至ったことで、業界の一部や政府関係者のなかには、ホッとしている向きもあるかもしれません。また、玉虫色の援助合意にも、心配しつつホッとしているかもしれません。そして、日本国民自身は、わがことに直接かかわらないと考えて、傍観者的になっていないでしょうか。しかし、科学的にはともかく、政策としての予防原則からすれば回避すべき危機を目前にして、なによりも京都議定書を生み出した国として、また、先進的な公害対策を実施してきたと自負する国として、何とも物足りないという思いにかられたところです。
 これから仕切り直しに入り、ポスト京都に向けた新たな枠組みづくり交渉がはじまりますが、何とも難しいというのが、多くの感想でしょう。この点で興味深かったのは、BBCの短評で、これまでの重大な問題解決を目指す国際会議は、いずれも長い時間を要したこと、ベルサイユ条約の会議が踊る例を引き合いにして、今回も時間が不足していることを指摘していました。事務レベル時には幹部級によるこれまで数年間の断続的な努力、閣僚級の10日間の議論も確かにありましたが、指導者たちが到着して数日のうちに、政治的に取りまとめられるというのでは、時間不足、検討不足といわれても致し方ないでしょうし、諸方面に不満足な結果とならざるを得ないところでしょう。
 気候変動問題は、もちろん人為的に発生したとされる自然生態系の変化の問題なのですが、同時に将来にわたる持続可能な発展が、この地球上すべての地域と人々にとってでどのように展望できるかを考える問題です。そうした観点に立った時、どのような発展の図式を描くのかが明確に示されなければ、南北問題も貧困問題も解決できないままに、さまざまな環境負荷を地球にかけ続けるだけという選択になってしまいます。まさに、議論の場、熟慮の場を、国連が提供できるかどうか、加盟国がその努力をするかどうかが、改めて問われることになります。そうした議論の場や場づくりに際して、改めて日本の役割に期待したいところです。
 ともあれ、これまでと同じように、多くの地域で雪のクリスマス(あるいは雪のないクリスマス)が迎えられますように。そして今年は時候のご挨拶を欠礼することになりますが、皆様方にこの場を借りてご挨拶を申し上げます。(添付の写真は、私が今暮らしている北イタリアの小さな町の中心商店街のクリスマスイルミネーションです。)