2010年1月8日金曜日

新川達郎のイタリア通信3号~その後の地方分権改革~

 イタリアでは、世紀の変わり目に当時のベルルスコーニ政権のもとで、2001年には憲法改正があり、地方分権が大きく進みました。とくに立法権に関して州の権限が大幅に拡大され、中央政府の統制が廃止されました。このプロセスは2013年まで続くはずだったのですが、政権交代と国民投票で状況がすこし変わりました。
 ともあれ地方分権が進んだ背景には、伝統的な分離主義的な分権の活動のほか、経済成長以後有力になってきた北部地域において有名な北部同盟という保守主義的な政治勢力の分権論が登場しています。北部同盟の活発な活動は2000年代にはやや下火になってきていますが、北イタリアの地方選挙ではいまだ有力です。
 さて、保守勢力のベルルスコーニ首相が、健康と教育を中心とする大規模な分権政策を掲げて憲法改正の国民投票を行いましたが、そのときに協力したのも北部同盟とされています。この2006年の国民投票では、反対が61.7%、賛成が38.3%で、否決されました。なお、投票時には、中道左派が政権をとっており、この提案には反対をしていました。いずれにしても、イタリアでは、地方分権が伝統的なものとして根づいていること、保守主義の政策として地方分権があること、いまでもその分権が急進的に追及されていること、そして国民全般には地方分権や連邦制が進みすぎることへの警戒心もあることには注意が必要です。
 イタリアの場合には、地方分権改革は足踏み状態といえそうです。一方で日本の場合ですが、地方分権改革委員会からは最終の第4次勧告(地方財源改革)まで出ましたし、鳩山首相主導で分権を進める体制もとられました。原口総務大臣は、大変熱心に分権改革を進める方針のようです。出先機関の廃止、法律の義務づけ枠づけの整理、地方交付税の在り方をはじめとして、道州制の議論も出てきそうですが、さて、どこまで進むことになるのでしょうか。イタリアのように憲法改正にまで踏み込んで頑張るという見通しがあるのでしょうか。