2009年11月27日金曜日

新川達郎のイタリア通信1号~分権、自治の伝統?~

 以前から、イタリア政治については、日本とよく似ているところがあるということが言われてきました。20世紀に入ってからの現代政治に限って言えば、世界事情が各国の在り方に影響しますから、似た条件のところが似たようになるのは当然かもしれません。第2次世界大戦においては、全体主義政権が日本と同盟関係を結ぶことになりましたし、敗戦後は、米国の占領下にあり、復興に際しては有名なマーシャルプランなどの力添えもあって、経済復興を遂げました。
 イタリアの奇跡と呼ばれる経済成長を戦後復興で成し遂げたことも、日本と似ています。合わせて、イタリアでも南北問題あるいは地域格差問題があり、工業化が進んだ北と、開発が遅れている南との格差はいまだに大きく、南部開発は、なかなか解決ができない大きな政治課題でした。また、キリスト教民主同盟の保守政権が長く続いた後、中道左派連合のオリーブの木が政権をとったこと、その後政権交代が繰り返されている点は、日本に似て、また先行している点かもしれません。
 しかしながら、国家形成の歴史は大きく異なっています。古代ローマ帝国の時代は別として、中世以降は、さまざまな権力の交代と割拠がありました。帝政も、王政も、教会支配も、そして共和制も繰り返し経験してきたわけです。イタリアの都市をみると、ボローニャが代表格ですが、都市の自治を通じて都市形成がなされてきたことが、よくわかります。
 たとえば、13世紀に自律的な市民によって都市が作られ、それが気に入らない王さまによって征服され、それをまた市民が取り戻し、また軍事的に征服されといった歴史をもっているなどといったような都市がたくさんあります。ともあれ、こうした分権的な状況のなかで、近代では、ようやく19世紀後半に統一ができました。その後は王政から共和制に変化はありましたが、一体性を保っています。その一方では、地域や都市の自治に配慮せざるを得ないのも、第2次大戦以降のイタリアの特徴です。