2011年4月7日木曜日

「議員力を問う」インタビューより

朝日新聞の京都版「京のあしたへ」の連載“議員力を問う”のタイトルで共同代表・新川達郎へなされたインタビューの一部です。
 全文は下記で、お読みください。
http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000221104050004

 ――「議員力」とは。 わかりやすく言えば、議会を動かす能力。議会制度や法律の知識をはじめ、議会運営の技術と実践力など、民主主義社会を担う代表者としての力量です。
 しかし現実には、公共のための政策を議論し、決定すべき立場の人たちが党利党略に明け暮れている。多くの地方議会が首長提案の議案をほとんど否決せず、修正すらしない。まともな議員提案の条例もない。こんなことで行政を監視していると言えるのか。
 一方で、国民の視線も気になる。政治不信や政治家へのバッシングが極端に進み、地方議会不要論さえ出てきた。こうした傾向は、民主主義社会の否定につながるものです。
 そんな危機感から2年前、学者仲間らと議員力検定を始めました。これまでに4回実施し、地方の現職議員や議員をめざす人たち約600人が参加しました。
(略)
 
――議員力検定を通じて変えたいことは何ですか。 議員として足りない点、伸ばさないといけない点に気づき、議会活動に反映させてもらえれば理想的です。最難関の「議員1級」に受かった若手の議員らが地域を越えてネットワークをつくるなど、おもしろい動きも出てきた。そういう人たちが一つのモデルとなり、議員を志す人が増えてくれればうれしい。
――まもなく投票です。 市民の側も選ぶ力が問われる。民主主義を使いこなす「市民力」です。わが利益代表を選ぶのではなく、どういう選択がより多くの人の共通の利益になるかを考えること。候補の主張を見極め、判断する力が求められます。

2010年5月16日日曜日

議会のヤジ その2~ヤジあれこれ~

 さて、ヤジが出現する背景には、議会での議論の方法に問題があるといえます。通常の会話や会議では、関わる人が入れ替わり発言するものです。しかし、議会は違います。議長(または委員長)の許可がないと発言できません。許可された人しか発言しないので、発言内容が首長に向けられることがほとんどのこれまでの傾向からすると、議員-首長という議論しか行われないことになるのです。とくに一般質問(や代表質問)では、形式的にも執行機関向けになってしまい、1対1の発言になります。そこで、明らかに間違った質問や不十分な答弁があった場合、どう関与するのかという問題が発生します。「議長に対して議事進行の動議を出し許可を得て発言する」という方法が正規の手続きです。しかし、これをいちいちやっていては逆にやり取りを妨害することにもなりかねません。
 そこでヤジの登場です。
 「わが国の失業者数360人だが、わが市の雇用情勢はどうか?」(ヤジ 「360人しかいないの?」)
 「すいません、360万人です、訂正します」
ということになります。この場合のヤジは、助言です。
 「市長は業者からどのような接待を受けたのか」(ヤジ お前だって清廉潔白じゃないだろう、昨日、どこぞの店に入っていくの、見たんだぞ)
 これは、事実だとしても私生活を暴露する問題あるヤジです。また、通常、意見が合わない議員同士でも、発言が妥当だなと思った場合、
 (ヤジ もと看護士さんが言うのだから間違いないだろ、がんばれ)
 (ヤジ そのとおりだ、市長しっかり答えろ)
というような場合もあります。これは激励のヤジといえるでしょう。
 ある議会で本当にあった話だそうです。賛成討論中(中身はほとんど反対)、S党の長老議員が「何なんだ、こんな議会、やってられるか」とヤジを飛ばし議場から出て行きました。そののち長老議員は議場入り口から議場に向かって手招きをしたといいます。するとJ党やK党の議員がぞろぞろ出て行ったというのです。どうやらそのヤジは発言者に向けられたのでなく、議長に対して揺さぶりをかけるためのものだったようです。半分くらいの議員が出て行った後、議長は休憩を取りました。議長は発言者を議長室に呼び「発言をやめてもらえないか」というのです。発言者の議員が「できない」というと、議長は長老におうかがいを立てたようで、「内容を少し変えてくれればいいから」と。仕方がないので、さきほど発言した討論原稿の前半部分と後半部分を入れ替えて渡したそうです。ほどなく議長は戻ってきて「これで、いいそうだ」と安心した表情でだったそうです。内容はまったく変わっていません。○○△△ を△△○○と言い換えただけにもかかわらず、です。
 このように、ヤジは発言者だけに向けられていない場合もあるということなのです。しかし、こんな駆け引きは、一般の傍聴者にとって、何が起こっているかわからないというのも事実です。

2010年5月14日金曜日

議会のヤジ その1~ヤジにも良い悪いがある?~

 議会にヤジはつきもの、といわれます。多くのみなさんには、国会中継でおなじみかもしれません。もちろん、地方議会でも「ヤジ」はたくさんあります。一般的に、人の話している時は、まず黙って聞くものです。ですから、なぜ「ヤジは議会の華」といわれるのか不思議かもしれません。はじめて議会を傍聴に来た人から「あまりにひどくて気持ちが悪くなった」という感想を聞いたことがあります。
 「質問の程度が低いぞ」「てめえ、いい加減にしろ!」「何年議員やってんだ」「お前なんか、人間として劣っている」などなど。言われた本人だけでなく、ヤジをあびている発言者に、日ごろ批判的な議員でさえ、聞くに耐えないヤジがあるのも事実のようです。
 では、静かな議会がよい議会なのでしょうか。発言者と首長(や部課長)が、淡々と当事者同士だけでやり取りをして終わる。20人も30人も議会にいるのに、「しーん」としたなかで2人しか話をしていない。それが「議論の場である議会」といえるのかどうか…
 もちろん、発言を妨害したり、人格を貶めるヤジは言語道断です。議場は一般社会と同じですから、そんなヤジは許されるわけがありません。ヤジは発言する者の人間性が表れるといえます。ヤジは「不規則発言」と呼ばれ、あくまでも私語です。あまりにひどい場合、懲罰の対象になります。
 しかしヤジは、発言を聞いているからこそ生まれるものです。何十人もいる議会でまったくヤジがなかったとすれば、もしかするとまったく聞いていないか、寝ているのかもしれません。異論があったら何か言いたくなるのが人情というもの。ヤジがないのは、発言に異なった見解をもつ議員をいらだたせるような本質を持ち合わせていないからだといったら言いすぎでしょうか。

2010年4月15日木曜日

新川達郎のイタリア通信最終号~州政府選挙で政治はどう変わる~


 立て続けで恐縮ですが、選挙投票日になりましたので、少し選挙の状況をお伝えします。これがアップされる頃には、さまざまな速報が伝えられているかもしれません。
 私が暮らしているピエモンテ州では、民主党を中心とする中道左派と自ら中道派と称する中央民主党が支持するメルツェデス・ブレッソさんとその支持政党グループともども優勢のようです。
 ところでピエモンテ州議会議員は、2009年段階では63名で、政権を握る中道左派の中心となる民主党が21議席、これに続いて、ベルルスコーニ首相が率いる「自由人民」が17議席、それに次ぐのは組合運動の伝統もあって共産主義再建党の4議席、そして北部同盟が3議席です(前回選挙時には、左派も右派も統合前だったので、2005年の選挙のときの政党名は異なっています)。2005年には、保守系の前職をブレッソさんが破って当選したのですが、今回もブレッソさんが優勢のようです。(写真は、それぞれ選挙用のホームページからとってきたものですが、左から、ブレッソさんと民主党のロゴ、ブレッソさんの選挙バス、対抗馬のコータさんと支持政党[北部同盟、自由人民]のロゴです。)
 さて、全国的にみると、13州の選挙のそれぞれで、多少の変化がありそうですが、今のところ2005年に左派が獲得した10~11州程度は、民主党を中心とする中道左派政権あるいは連携する中道の民主主義中央党が確保しそうですし、保守側
も中道右派として2~3州程度は勝ちそうだと伝えられているようです。2006年の国政選挙で躍進した左派が、2008年の国政選挙で失った信任を取り戻すチャンスということになりますし、ベルルスコーニ政権にとっては、前々回の国政選挙を 2013年に再現させないためにも頑張りどころということでしょうか、首相自身は、極めて楽観的に予想しているようですが、さてどうなりますでしょうか。一方の民主党は、この選挙で大きく得票率を上げて、国政選挙に結びつけたいところです。
 以前に書きました通り、今回の選挙は、3年後の選挙の中間選挙の意味合いがあり、その趨勢で、次の政権の方向が決まると考えられています。とはいえ、直接的にこの選挙結果によって、大きな政治変動があるとは考えられていないと いうのが現状のようです。新聞各紙の論評を見ていても、確かにベルルスコーニ政権の評判はよくないのですが、しかしその高い人気は間違いないところで、スキャンダルや裁判騒ぎで票を落とすとしても、当面政治は変わらないというのが 一致した見方のようです。この選挙結果を受けて、よほどのことがない限り、国会の解散選挙は考えにくいというところのようです。
(そろそろ筆者も半年間のイタリア滞在を終える準備に入らなくてはならなくなりました。ここでイタリア通信を完結とさせていただきます。)

2010年4月12日月曜日

新川達郎のイタリア通信15号~いよいよ投票日~


 3月28日、29日は、いよいよイタリアの13の州政府選挙の投票日です。このひと月の間に、各政党そして候補は、熱心に選挙運動を進めていました。選挙運動の基本は、テレビやラジオなどの電波メディアと、新聞広告や印刷物、そして政治集会です。インターネットも活用され、政党のものは常設的に、そして立候補者のものはこの時期に集中的に候補者名をアドレスにして、有権者に訴えかけています。
 選挙運動にあたっては、もちろん電波や通信ネットワークも重要ですが、意外に重視されているのが、ポスターの掲示とパンフレット類です。ポスターも、選挙運動期間中になると市町村が掲示場を設けてそこに貼りだすものもありますが、面白いのは、バスの側面や後部に、候補者名や政党名を書いて宣伝している場合があります。また、人が集まる野外市場や休日などには、各政党がそれぞれのテーブルを屋外に設けて、パンフレットを配ったり、呼びかけをしたりしています。ブラ市では、水曜日と金曜日の午前中に町の広場にマーケットができて、あちこちからトラックが集まり、衣料品、家庭用品から、野菜果物、魚、肉、ハム、チーズ、お菓子、生花などがいくつものお店で売り出されます(ちなみに我が家も買い物の多くをこのマーケットに頼っていました)。選挙戦もあと2週間となると、このマーケットのときに合わせて、各政党や候補者の運動員が集まり、パンフレットを配ったり、選挙運動用の小物を配ったりしています(お菓子らしきものが入った小さな包みを配っていました。いわゆる選挙グッズですね)。 パンフレット類と書きましたが、これは、本当にいろんなかたちのものがあります。立派な冊子に近いようなものを配布する政党や候補、、手に取りやすい名刺サイズの4ッ折りくらいにしたものもあります。広げるとA3サイズのものから、A5を折りたたんだものまでいろいろです。形も長方形、細長いもの、正方形に近いものなどいろいろです。色は、各政党のカラーもあるのですが、こちらも候補者の独自色が文字通りあるようです。デザインは、もちろんさまざまで、候補者の写真を大きく載せたもの、なかには上半身裸で、健康そうな様子を誇示しているやや高齢の方もいます。
 宣伝の内容もそれぞれです。政党の主張、候補者の紹介なども一応ありますが、面白いのは、各候補者が、自分の名前を書いてもらうように宣伝している点です。そしてその名前を書いてほしいという宣伝は、もっぱら地元に向けてのものが多いのです。日本の選挙にも地盤という言葉がありますが、比例代表制をとるイタリア州政府選挙でも、地元は大切で、そこで自分の名前をしっかり書いてもらって当選しようというわけです。それもあってか、地元のためになる候補者という、どこかで聞いたことのあるようなフレーズがしばしば出てきます。この地域をこんな地域にする、こんな公共事業をもってくる、新しい施設をつくる、鉄道や道路の整備をするといった具合です。
 私が住んでいるブラ市は、ピエモンテ州のクネオ県にありますが、旧郡の単位でいうとランゲとロエロに挟まれた地域です。小都市が多い農村部ですので、交通基盤や産業施設などの整備、また自然環境を守るといった方針が多くなるようです。そこで候補者は、その出身地のためになる候補という意味を込めて、あれこれの政策(利益誘導策)を示して、「ランゲのために」私を選んでほしいといったフレーズを多用することになります。そして、パンフレットには、投票用紙の書き方を示して、自分の政党のシンボルにマークをするように、またその横に個人名を書くようになっているのですが、自分の名前を記入して、こう書いてくれとしています。
 さて、この選挙結果はどうなるのでしょうか。(今回の投票用紙のサンプル【画像はクリックすると拡大表示します】は、エミリアロマーニャ州の保守系候補のサイトからとってきました。前回のものと違って、政党のマークに‘ばってん’が入っていること、その横に名前を書いていることがおわかりになるでしょうか。‘ばってん’をすると、その政党を選んだことになります。そしてその横の記入欄に個人名を書くとそのひとの得票にもなり、ご本人は選出のチャンスが高まります。)

2010年4月9日金曜日

新川達郎のイタリア通信14号~投票はどうなっている?~

 イタリアの地方自治体の選挙では、自治の政治制度にもとづいた投票方法になっています。イタリアの地方自治体では、首長とその与党の政党グループを選挙で選ぶことになります。たとえば、今回の州政府選挙では、投票用紙は、政党のシンボルマークを同じ大きさの○内で示し、その横に候補者の名前を書く欄を設けてあります。いくつかの政党が支持する知事候補者の名前は、政党グループ名を横書きで何段かにまとめて、その左横に候補者氏名が書いてあり、そこにもマークすることができるようになっています(写真はイタリア内務省が、サンプルとして出している写真で、各級の選挙の違いがお分かりいただけるでしょうか)。
 この投票用紙の書式には、イタリアの選挙制度が大きく関係しています。前にもご紹介したとおり、州政府選挙は比例代表制なのですが、同時に州知事を冠にいただいてそれを支える政党連合のグループが、相互に競争をする形式をとります。投票は、州知事だけに投票することもできますし、支持政党と連携する知事候補者に投票することもできます。また、支持する議員候補者名で投票することもできます。もちろん、ごく少数ですが、支持するある知事への投票をして、その知事とは連携しないで敵対する候補の政党または候補者への投票をする、一つの選挙でのいわゆる交差投票もあります。
 イタリアの投票率の高さについては、場所によっては棄権をした者の氏名を公共の掲示板に張り出すというような方法で、強制に近い選挙をやってきたからとか諸説ありますが、概して従来は高い投票率で知られている国です。とはいえ、90年代以降、少しずつですが投票率も下がってきています。特徴的なのは、EU議会の投票率の低さです。あまり関心をもっていないとはいえ、各界からも問題視されています。国政選挙では、80年代あたりまでは90%以上の投票率を誇っていたのですが(日本の村の選挙みたいですね)、90年代には80%、2000年代には70%台に、落ちてきています。
 地方選挙も同様の傾向にあり、かつての日本のように地方選挙がとくに高い投票率になるということはないようです。正確に言うと投票率の数字と年代は必ずしもあっていないのですが、大まかな傾向は分かっていただけるかと思います。
 さて、このところ地方選挙では、ローマ、ナポリ、トリノといった大都市選挙では、中道左派が強みを発揮しています。もちろん元来勢力基盤があるところではあるのですが、ベルルスコーニ首相の地盤であるミラノを除いては、今これらの大都市では中道左派の市長と議会になっています。とはいえ、右派と左派の得票の差は、思ったほど大きくはありません。外国からみていると散々な評判の現首相が、あるいはその陣営が、強みを発揮するのは、伝統的な保守地盤があるということでしょうか。
 私のまわりのイタリア人有権者たちに言わせると、今のベルルスコーニ首相がなぜ高い人気を誇っているのか、大変腹立たしいようです(ピエモンテ州が現在左派政権であり、スローフード運動が左翼に基盤を置いていたこともあるかもしれませんが)。マスコミの力で高い人気を得ているだけで、プラスチック成型をしたような顔や皮膚、絵に書いて張り付けたような頭髪など、政治家としての資質以前の問題があるのだといっています。もちろん政治家としては、落第点だそうですが、これは何とも私のおつきあいの範囲内の何人かの話ですので、この段落は読み飛ばしてください。
 ともあれ、州政府の選挙戦では、中道右派が、知事候補だけではなく、ベルルスコーニ首相の名前を出して選挙戦を戦っています。これに対して中道左派は州政府の知事候補をシンボルにしています。このあたりも、選挙戦略や政治勢力の体質の違いが表れていて面白いところです。

2010年4月8日木曜日

「条例」はどこにあるか? その最終回~条例づくりの基本とは~

  これまで11回に分けて、例規検索の現状と具体的な方法について、ネットの活用法に絞って考えてきました。
 昨今のICT政策の進展はめざましいものがあり、この分野での情報収集の利便性の向上をもたらしました。
 けれども、ネット上の情報収集は、今まで書いてきたように問題点があり、発展途上のものです。ネット上の情報は大いに活用すべきですが、同時にその不十分さ、限界を常に心得ている必要があります。
 ネット上で先進的な条例を見つけても、条例文だけに飛びつくのではなく、関連情報を収集する必要があります。
 そのような関連情報を得るためには、ネット上の情報だけではなく、図書館や議会事務局を活用して、関係する書籍・新聞記事・雑誌論文などを丹念にあたっていく必要があります。専門家の活用も時には必要になります。また実際に条例制定を考えるならば、先行して制定済みの自治体に問い合わせをすることになるでしょう。
 そして何より、探してきた情報は担当課はもちろんのこと、広く市民と共有することが当然の務めであり、条例制定を後押しすることにもつながります。
 ネット上でいくら面白そうな条例を見つけたとしても、それをパソコンで行うコピー・アンド・ペーストの操作のように、条例文だけを自分の自治体に当てはめることは無理です。仮に条例が成立したとしても、担当課や現場の市民に混乱をもたらすことになりかねません。
 これから「自治立法」としての条例の役割・政策効果は、いよいよ大きくなってきます。そうなったとしても条例づくりの基本は、市民の日々の暮らしと自治体活動の現場(立法事実の把握)にあることはいうまでもありません。(了)